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千葉地方裁判所木更津支部 昭和51年(わ)38号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

押収してあるあじ切り包丁一丁を没収する。

理由

(被告人の経歴等)

被告人は、横浜市鶴見区○○町×××番地において、父甲野太郎と母乙山花子との間に出生したが、母がその約二年後に右甲野と離婚したことから、母に連れられて母の実家のある木更津市に帰り、親戚の乙山松男方の物置を改造して住み、その後母が昭和二二年ごろ丙川一夫と同棲するようになってからは、実家の乙山竹男(母の弟)方の物置に移り住み、母は右一夫との間に被告人の妹咲子をもうけたが、右一夫ともまもなく別れてしまった。

被告人の母は、男勝りの勝気な性格で、生活保護の受給も断って、漁業に従事する家や近所の農家の手伝い、雑貨屋の店員などをし、また被告人が中学校に進学する前後の昭和三一年春ごろからは八百屋を開業して女手一つで被告人らを育て、被告人も母親が八百屋を始めてからはその手伝いのため学業も怠りがちであった。なお、母はまもなく病気になったため八百屋は廃業のやむなきに至った。

被告人は、中学校卒業後、木更津市内の食堂やレストランに住込みで皿洗、出前持として働いたが、夜遅く帰ったことから店の若主人に殴られたり、出前の集金の使いこみ等のためいずれも短期間でやめてしまい、家に戻って魚屋や冷凍機械屋に勤めたりした後、一八才のころ東京都在住の伯母を頼って上京して鳶職人となったが長続きせず約一年半後に木更津市に戻り、鳶職人、大工手伝いなどをした後土工となり、海岸の埋立工事に従事したのをはじめとして千葉県内あるいは近県の工事現場を転々とし、昭和四八年八月に再び木更津市に戻り、知人の経営するA建設という建設会社の人夫となり、そのころ右知人の世話で肩書住居地の借家を家主の港春子から家賃月額八、〇〇〇円で借り受けた。

これより先被告人は母が昭和四二年七月病死し、妹は叔父に引取られてさらに他家に嫁していたので単身で居住するようになった。

その後、被告人は右建設会社をやめてからも一時船橋市内の建設現場で働いたほかは右自宅から通いで市内の土建下請業者のもとで土工として働き、昭和五〇年二月ごろから約一か月半墨田舗装こと墨田夏樹方で道路舗装人夫として働き、同年五月から年末まで株式会社M土木(代表者品川秋行)で働いたが、賃金の支払が滞りがちであったので嫌気がさしていたため、年が明けてからは仕事に行かず、自然右会社もやめてしまい、その後は所持金もあまりないのにもかかわらず徒遊し、ようやく昭和五一年二月二六日から前記墨田方で再び働き始めた。

(犯行に至る経緯)

被告人は、もともと勤労意欲に乏しく仕事も休みがちで嫁ぎが少ないうえ酒好きなため蓄えもなく、昭和五〇年春にようやくもらった賃金も借金払や正月の用意に神棚を買ったりしてほとんど使ってしまい、昭和五一年になってからは嫁動していないためまったく収入がなく、昭和五〇年一〇月分以降の家賃を滞納し、家主から二月一杯で立退きを求められており、また電気料、水道料も滞納しており、同年二月一七日には電力会社から前年一二月分の督促を受けてもなお支払わなかったため、送電停止の措置をとられそうになったが、折から来合わせていた友人に金を借りて支払い急場をしのいだこともあり、生活費にも窮していたが、前記のように同年二月二六日から墨田方で働き始めたものの給料日までに間があり、働き始めて早々に前借もできず依然として収入がなかった。

同年二月二八日は仕事先が休みであったため自宅にいたが、昼過ぎに幼いときから何かと目をかけてくれていた近所の目黒冬子方に遊びに行き、同女に茶飲み話のついでに窮状を訴えたところ、同女が同情して二、〇〇〇円と清酒一本をくれ、さらに郵便局から金を借りられれば一万円をあげるといって夫名義の簡易保険証書と印鑑を渡してくれた。

被告人は、同日午後五時ごろ帰宅し、もらって来た酒を飲んでいるうち墨田方の従業員宿舎にいる仕事仲間をたずねる気になり、同日午後六時半ごろ前記目黒からもらった二、〇〇〇円を持ってタクシーで出かけたが、宿舎には一人しかいなかったので一〇分ぐらい話をしただけで宿舎を出て徒歩で帰途についたが、途中同日午後八時ごろ、前に数回行ったことのある木更津市○○○×丁目××番×号所在の飲食店「Y」こと荒川五郎方に立寄り、カウンターに坐って飲酒していたが、同店の主人が折から来合わせていた同市○○×××番地の×に居住しS運輸株式会社に勤めていた大田六郎(当時三九年)(以下単に大田という)に被告人のことを「この人貝渕の人だよ。」と紹介したことから同人と話をするようになり、同人から酒を一杯おごってもらったりして意気投合し、同日午後九時過ぎごろ同店を出たが、さらに同人に誘われて市内のバー「きんれい」、小料理店「小舟」、飲食店「おこう」、スナック「チャンス」及び同「火焔木」と同人のおごりで飲み廻り、翌同月二九日午前四時ごろタクシーで被告人の自宅付近まで来たが、途中同人にまた遊びに来てもらうため今夜は自宅に泊めてやろうと考え、またタクシーが止った際に家にもらった酒があるのを思い出して同人にご馳走になったお礼に飲ませようとも考えて同人を自宅に誘い、南側三畳間で炬燵に入って二人でコップ三杯ぐらいずつ飲んだ後その場でごろ寝し、被告人は同日午前七時ごろ目をさまし、大田も二、三〇分後に目をさましたので、さらに残り酒をコップ二杯ぐらいずつ飲んだ。

大田は、同日午前八時過ぎごろ便所へ行くため立ち上り、用足しを終えて帰ると言ったが、同人は腰がまだふらついていたし、雨も降っていたので、もう少し休んでいくように勧め、玄関隣の六畳間に布団を敷いて同人を寝かせた。同人は背広のまま寝たので、被告人はこれを脱がせてやり、ハンガーにかけて同部屋の北側東隅の鴨居に吊るしておいた。

(罪となるべき事実)

第一、被告人は、大田が寝入ってしまったので、炬燵に入って飼猫とたわむれていたが、当時前記のように深刻に金銭に窮していたところ、大田が前夜一緒に飲んだ際金払いが良く、また飲食店に貸しがあるような話もしていたことから同人が相当金を持っていると思われたので、同日午前八時三〇分ごろ、先に脱がせておいた同人の背広左内ポケット内から取り出した財布(昭和五一年押第三三号の一八)内及び外側ポケット内から現金約五万三、〇〇〇円(同号の一の一万円札二枚はその一部)を窃取したが、同人が起きた際に右窃盗の犯行が発覚することをおそれて、罪跡を湮滅するため同人を殺害すること(以下単に本件殺害の犯行という)を決意し、騒がれても近所に聞こえないように同人を北側三畳の板の間に後から羽交締めにするような恰好で引きずり込んだうえ、同人を魚料理に使うあじ切り包丁で殺害する積りで台所に右包丁を取りに行こうとした際、たまたま同じ職場の同僚で飲み友達である中野七郎と板橋八郎が遊びに来たので、一時本件殺害の犯行を見合わせ、同人らを南側三畳間に通した。

右板橋がビールを買ってくれと言って金を出したが、いつもなら被告人が買いに行くところ、その日は本件殺害の犯行途中で家をあけるわけにはいかなかったので、右中野に頼み、同人がビール二、三本を買って来たが本件殺害の犯行が頭にあったため被告人はまったく口をつけず、また右中野は昼ごろ帰ったが、その際被告人にバイクで送ってくれるように頼んだが、被告人としては前同様の理由で家をあけるわけにはいかなかったので、窃取した金の中から一、〇〇〇円をタクシー代として渡して一人で帰らせた。一方右板橋は酔って寝込んでしまったので、飼っている鶏(チャボ)に餌をやったりしてから、当日は月末で立退期限であったので、同日午後三時ごろ隣家の家主方に赴き、窃取した金の中から五か月分の滞納家賃四万円(同号の一の一万円札二枚はその一部)を支払い、引続き貸してもらうよう頼み込んだ。右板橋は同日午後六時ごろ帰ったが、その際にもタクシー代として三五〇円を渡した。これより先前記中野がビールを買いに行った際、大田を運び込んだ部屋に行き、同人が何もかけないで寝ていたので、毛布と布団をかけてやり、良く寝込んでいてくれるようにしておいたが、右板橋が帰った後もまだ同人は寝たままでいたので、友人らの来訪で一時見合わせていた本件殺害の犯行にいよいよ取りかかり、玄関に施錠したのち、酒を一杯飲んで気分を落ち着かせてから同日午後七時過ぎ北側三畳の間の手製ベッドの上に血で汚れないようにカーペットを敷き、台所から前記あじ切り包丁を持ち出し、さらにベッドの側に立ち右カーペットの上に寝入っている大田を両手で抱き上げて頭を南向にして横たえ、被告人に背を向けている同人の上体を起すようにして被告人の方に向け、長袖ワイシャツのボタンをはずすなどして胸をはだけたうえ、所携の右あじ切り包丁で同人の左胸部を心臓めがけて二回突き刺し、よって左乳部刺創による肺動脈損傷による失血死によりその場で同人を死亡させた。

第二、被告人は、本件殺害の犯行後台所で右包丁と手を洗い、炬燵に入って酒を飲みながらテレビを見ていたが、死体の処置について思案の末、死体を解体のうえ運び出して埋めてしまおうと決意し、同日午後九時ごろから同日午後一一時ごろまでにかけて、あらかじめダンボール箱、ビニール袋、紙袋を用意したうえ、前記本件殺害の犯行場所において、前記大田の死体からワイシャツとメリヤスシャツは血まみれであったのでそのままにしてそれ以外の着衣を脱がせて、前記包丁を使用してまず両下肢を切り離し、その際陰部をえぐり取り、ついで両上肢、頭部の順に切り落とし、最後に胴体の腹部を切り開いて内臓を取り出したうえ、胴体を胸部と腰部の二つに切断し、もって死体を損壊した。

被告人は、右解体した死体各部を両上、下肢をダンボール箱に、頭部を米ビニール袋に、内臓を黒ビニール袋に、胸部は茶色紙製飼料袋に入れたが入りきれなかったのでそれをさらにダンボール箱に、腰部は頭部を入れた米ビニール袋と一緒に別の飼料袋にそれぞれ詰め込み、なお陰部と後で食べてみようとして大腿部から切り取った肉を冷蔵庫に入れて、コップ酒を一杯飲んで就寝し、翌昭和五一年三月一日午前七時ごろ起床し、朝食をすませた後外出し、盗んだ残りの金で米を買い、質入れしていた腕時計を受戻し、また前記目黒から預った簡易保険証書を持って郵便局に行って金を借りて来て同女に渡し、その中から一万円ををもらい、同女方の手伝いをして昼食をご馳走になり、酒をもらって同日午後四時ごろ一旦帰宅し、再び外出してプロパンガス屋のつけを払ってあらたにガスを注文し、電力会社に滞納していた一月及び二月分の電気料を支払い、魚屋で借金を払うとともに魚を買って帰り、夜酒を飲んでいるうちに冷蔵庫に入れておいた大腿部の肉を食べてみる気になり、右肉を取り出して前記包丁で薄く刺身状に十切れぐらいに切ってフライパンで焼き、味塩をふりかけて焼肉にして皿に盛って食べようとしたが、いやな臭いがしたため食べるのをやめ内臓の入ったビニール袋の中に捨て、今度は同じく冷蔵庫に入れてあった陰部を取り出してまな板の上で陰のうと陰茎に切断したうえ、陰のうの切り口から睾丸を押し出し、また陰茎を尿道に沿って切り開くなどして弄ぶなどした後、陰のうの一部は両上、下肢の入ったダンボール箱に、残りはごみを入れる紙袋の中に捨てた。

その後、被告人は、テレビを見たりして時を過していたが、死体の捨て場所について考えた末、翌同月一一日午前〇時ごろ、まず内臓と焼いた大腿部の肉切れを自宅の庭の隅に穴を掘ってビニール袋からあけて埋め、ついで同日午前四時ごろまでの間に三回にわたって自転車で他の解体部分を運び出して、胸部を同市小浜一三番地の一〇先の国道一六号線沿いの山側の崖くずれ防止用のコンクリート擁壁の裏側の水溜りに投棄し、両上、下肢と頭部及び胸部を同市桜井谷九反目一、〇一六番地先の山中に穴を二か所掘って、それぞれ埋没し、もって死体を遺棄した。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

一、主任弁護人浜名儀一の主張について

同弁護人は、本件第一の事実は、窃盗行為と殺害行為との間に一〇時間余の間隔があり、しかも窃盗直後に生じた大田に対する殺意は友人の来訪という障害により一旦消滅し、友人が帰った後も被害者がまだ眠っていたことから新たに殺意が生じたものであるから、被害者に対する殺害行為は窃盗の機会に行われたとはいえないので、事後強盗殺人罪ではなく窃盗罪と殺人罪をもって律すべきである。と主張する。

しかしながら、なるほど本件窃盗行為と殺害行為との間には同弁護人指摘のとおり約一一時間位の長時間の時間的間隔があるが、前記認定のとおり被告人は窃盗行為の後まもなく罪跡湮滅のため被害者に対する殺意を生じ、犯行を容易にするため被害者を別の部屋に移し、台所に同人殺害に使用するための兇器である包丁を取りに行こうとしたところに突然たまたま友人二名が来訪した意外の障害に本件殺害の犯行をそれ以上継続することができなかったものの、その時点ですでに本件殺害の犯行の着手に密接した行為を行っており、友人らが来てからも極力家をあけないように努め、また被害者が起きてこないように気を配っており、友人らが帰ってしまってからまもなく本件殺害の犯行に及んでいるのであって、この間殺意は依然として継続していたものと推認される。なお被告人の当公判廷における供述中、前記弁護人の主張にそう弁解部分は被告人の捜査段階における供述内容に照らして措信できない。もっとも、被告人の右弁解のうち、友人らが来訪したことにより「人が来てしまったので、もう悪いことはできないと思い、一方ではほおっとしたという気持もありました。」と述べている部分は通常人の心理状態としては十分理解できることであるが、被告人においては友人ら来訪後友人らに本件殺害の犯行の放棄をうかがわしめるような事柄につき相談に乗ってもらうとするような言動をした形跡は本件記録上何一つ認められないばかりか外形的に見る限り、極めて冷静に当初の決意どおり本件殺害の犯行に及んでいる諸事情を考慮すると、全体的に観察すれば被告人の大田に対する殺意の友人ら来訪前と友人ら帰宅後における前後の一体性ないしは継続性は否定できないといわざるをえない。また、前記認定のとおり、被告人は前記中野が帰って前記板橋が炬燵で寝込んでから、鶏に餌をやり、また家主に滞納家賃を支払うため一時家をあけているが、このときは被害者や右板橋が寝入っていることを確認したうえでのことで、その時間もわずかな短時間であるので、被告人の前記大田に対する殺意の前記前後一体性、継続性の確定判断の妨げとなる事情にはならないというべきであり、むしろ、かえってその時点で窃取した金を処分したということはそれほど被告人は切羽詰まった経済状態にあったことを意味するのであり、窃取した金を費消した以上、もはや本件殺害の犯行を断念することはこれが罪跡の湮滅を意図するかぎりできないのであって、殺意をますます強固なものにしていたとすら推察することもできるぐらいである。

そして、本件は窃盗行為と殺害行為との時間的間隔が異常に長いという異例な事案ではあるが、これは窃盗行為が犯人の自宅で行われ、しかも被害者が長時間寝入っていたという特殊事情によるものであり、場所的には窃盗行為と殺害行為は部屋こそ違え同一家屋内で行われており、被害者は終始昏々と寝入っており、この間何ら被害者側の状況には変化は認められない(いわば被害者が被告人の自宅に居続けることによって被告人の窃盗の犯行に対する被害者の追跡態勢をとる可能性が続いているという評価も可能である。)のであって、前記のように被告人の窃盗直後に生じた殺意の継続も認められることをあわせ考慮すると、本件殺害の犯行は窃盗の機会になされたものと認めるのが相当である。

よって、弁護人の右主張は採用できない。

二、弁護人土佐康夫の主張について

同弁護人は、被告人が本件殺害の犯行及び死体損壊行為の当時心神耗弱の状態にあったと主張する。

しかしながら、鑑定人鈴木秋津作成の鑑定書によると、その鑑定所見は、(一)被告人は情性希薄型精神病質者であり、知能は境界領域にある。現在精神病状態になく、また異食等の食欲異常同性愛等性倒錯その他の本能異常を認めない。(二)犯行時被告人は飲酒しているが病的酪酊の標識は一切認められず、その酩酊は尋常酩酊に相当する。(三)犯行は動機との関連において精神病あるいは本能異常等の異常心理を介することなく理解することができる。また本件犯行に異常性を感じることがあってもそれは被告人の情性希薄性人格特性から説明することができる。(四)犯行時被告人の理非善悪に対する弁別能力及びその弁別に従って行動する能力の欠如あるいは著しい減退を認めない。というのである。そして、右鑑定所見はその行き届いた合理的説明とともに本件関係証拠に照らしても首肯することができ、右判断を覆すに足りる資料は存しない。当裁判所も本件関係証拠及び右鑑定書により被告人は、本件各犯行当時事理弁識の能力及びこれに従って行動する能力は著しく減弱はしていなかったものと認める。よって、同弁護人の右主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二四〇条後段(二三八条)に、判示第二の所為は包括して同法一九〇条に該当し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、後記の情状を考慮して判示第一の罪の刑につき無期懲役刑を選択するのを相当と認め、同法四六条二項本文を適用して他の刑を併科せず被告人を無期懲役に処すべく押収してあるあじ切り包丁一丁は判示第一の強盗殺人の用に供した物で犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれを没収することとする。

訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

一、本件は、前夜たまたま飲み屋で知り合い自宅に泊めた被害者から現金を窃取したうえ、罪跡を湮滅するため殺害し、その死体を損壊遺棄したという兇悪な犯行であり、次に述べるような諸事情を考慮すると、被告人の刑責は重大であり、検察官の極刑の求刑もあながち無理からぬものがあると考えられる。

(一)  犯行の動機

被告人は、犯行当時生活費にも窮しており、とくに家賃滞納のため当日までに家賃を支払わなければ家主から退去を求められるおそれがあり切羽詰まった窮境にあったことから本件殺害の犯行を敢行したものであるが、そのような事態になったのは被告人が勤労意欲に乏しく以前から仕事を休みがちで、とくに本件殺害の犯行の数日前までの二か月近くの間はさしたる理由もないのにまったく仕事をしていなかったことによるものでいわば自業自得というべきであり、動機の点においてとくに酌むべき同情に値する情状は存しない。

(二)  犯行の態様

被告人は、現金窃取後まもなく本件殺害の犯行の決意をしてその準備をなし、たまたま友人らの来訪という思わぬ障害があり犯行を思い止まる機会があったにもかかわらず、右決意を継続し、その障害が去るや寝入ってしまってまったく睡眠中無防備の被害者を血で汚損されるのを防ぐためカーペットを敷いたベッドの上に乗せるなど周到な準備のうえ心臓部を鋭利な刃物で突き刺して即死させたもので、極めて冷静に被害者に対する殺害行為に及んでおり、そこには殺人という大罪を犯すことに対するためらいないしはおののきといった人間的な感情は見いだしがたい。

さらに、犯行隠蔽のため、死体を実に手際よく解体し、あまつさえその際に陰部をえぐり取り、大腿部の肉を切り取ってこれらを冷蔵庫に入れ、翌日大腿部の肉を焼いて食べようとしたり、陰部を興味本仕に切り刻むなどしまた解体した死体各部を分散して埋没あるいは投棄しており、死者に対する冒涜行為としてこれに過ぎるものはなく、まさに天人ともに許されない行為というほかはない。

(三)  被告人の性格及び生活態度

被告人が右のように残忍を非人間的行為を平然となしえたのは鑑定人の指摘するところの情性希薄型精神病質という被告人の異常性格によるものであり、さらに右鑑定人によれば、被告人には自己中心性を含むヒステリー性格傾向も加わっていると指摘されており、被告人が平素はおとなしいが酒を飲むと激しやすく奇矯な行動をするというのは右のような性格のあらわれであり、また、前記のように被告人は転職を繰り返し、土工となってからも勤勉さに欠け、酒好きで気ままな生活をし、家賃や電気料、水道料を滞納していたばかりでなく、木更津市内の商店数か所にも未払があるのに厳しく請求されないのを幸いに放置するなどルーズなところもあり、多少社会適応性に欠ける生活態度がみられた。

(四)  被害者側の事情

被害者は事情があって妻と離婚し、一人娘(昭和四二年一月一五日生で現在小学校五年在学中)を実家に預け、単身で生活していたが、健康でまじめに働いていたものであるところ、前夜たまたま被告人と知り合い、意気投合して親切に酒をおごってやったのが仇となって、現金を盗られたうえまったく睡眠中の無抵抗な状態で殺害され、さらに身ぐるみはがれた死体を解体のうえ遺棄されたもので、被害者には被告人に対し非難すべき行為はなく、その無念さは察するに余りがあり、また、遺族に与えた悲嘆は甚大であるにもかかわらず何ら慰藉の途は講じられておらず、遺族の被害感情は極めて強い。

(五)  社会的影響

本件は、いわゆる「ばらばら事件」であり、被告人が人肉を食べようとしたり、陰部を切り取ったということもあってまれにみる猟奇的兇悪事件としてマスコミに喧伝され、近隣住民のみならず、一般社会に深い衝撃を与えたものであって、その社会的影響は大であって、一般予防の観点からもこの種事件には厳罰をもってのぞむべきであるという社会的要請は無視できない。

二、しかしながら翻って考えてみるに、本件については次のような被告人にとって情状につき有利な側面も認められる。

(一)  本件は計画的な犯行とはいえない。

被告人が当初から窃盗の目的で被害者を自宅に誘ったことを認めるに足りる証拠はない。前記認定のとおり、被告人は犯行当日被害者が一旦起きて再び寝入ってから当日が家主からの立退期限であったため、これを免がれるため金を盗む気になりこれを窃取し、その後本件殺害の犯行を決意し、その着手に密着した行為中たまたま友人らが来訪したため一時本件殺害の犯行を見合わせたものの友人らが時を異にして帰った後間もなくこれを実行に移し、さらに死体の処置に窮して解体のうえ遺棄したものであって、本件各犯行の態様は前述したように極めて悪質ではあるが、いわゆる計画的犯行という意味での計画性は認められない。

(二)  被害者に対する殺害方法自体は通常の殺人に比べてとくに残虐とはいえない。

本件殺害の犯行の手段は鋭利な刃物で胸部を突き刺したものであり、残虐な犯罪であることは否定できないが、本来殺人自体が残虐な行為であり、本件が通常の殺人の手段に比べてとくに残虐な方法をとったということはできない。むしろ、被害者は寝入っていたのであるから死の瞬間の苦痛はともかくとして被害者に通常の殺人以上の異状な苦痛や恐怖感は与えておらず、このことは睡眠中の無抵抗の被害者を殺害したという点では必ずしも有利な情状とはいえないかもしれないが、少なくとも本件殺害の犯行の手段には異常な残虐性はないものと考えられる。

被告人は、被害者を殺害後死体を解体してこれを遺棄しているわけであるが、このことにより一般人は恐怖感、不快感を抱き本件各犯行につき全体として残虐なものとの強い印象を受けることは当然であるが、いうまでもなく被告人は本件殺害の犯行の手段として被害者を「ばらばら」にしたわけではなく、あくまでも被害者を殺害後死体を解体して遺棄したものであって、死体損壊遺棄罪の保護法益は宗教的平穏及び宗教感情であり、法定刑も最高懲役三年という比較的軽微な犯罪であることを考慮すると、いわゆる「ばらばら事件」という名の一般人に与える衝撃性のゆえに被告人の本件殺害の犯行の本質を冷静に観察せず、その残虐性を強調しすぎることは被告人に対し酷に失する見方であるといわなければならない。

(三)  被告人は矯正不可能とはいえない。

被告人は、前述のとおり本件各犯行の数か月以前からはその性格異常と怠惰な生活能度により社会適応性を欠いているといわざるをえないが、被告人のこのような性格や生活態度は不遇な環境で男勝りで勝気な母親に甘やかされて育てられ、また家庭の事情で中学校での教育も十分に受けられなかったことにより形成、助長されたものと思われ、一人被告人のみの責任に帰せしめるのは酷である。そして、被告人はそれまでも決して健全な社会生活を送って来たわけではない(酒を飲んで土工仲間と喧嘩したこともあり、時には警察沙汰になったこともあるようである。)が、その恵まれない環境や長い土工生活にもかかわらず、何ら前科もなく、被告人はいわゆる無頼の徒とはいえず、社会の下積みの生活ではあるが被告人なりに一応まがりなりにも本件各犯行前の数か月を除くと社会に適応していたと評価することもできる。

また、被告人は、猫や鶏を飼うなど動物好きで、世話になった人には中元や歳暮を届け、本件各犯行後勤め先から前借して妹の娘の節句の祝いをやるなど律儀な面もあり、さらに被告人の自宅にはいつも飲み仲間が集まりかつて一時被告人と一緒に暮していただけの身寄りのない重病の浮浪者の面倒を見て入院させて約一〇日間付ききりで下の世話までしたことがあるなど面倒見のよいところもあり、いまだ人間性は失われていない。

してみると、被告人は適切な矯正教育を施せば、必ずしも矯正不可能な反社会的性格を有するとはいえない。

(四)  ある程度の改悛の情が認められる。

被告人は、本件各犯行後も一見平然とした行動をしており、被告人の犯行が発覚しそうになると隠蔽工作をはかるなど罪障感に乏しいように見えるが、反面において被告人は自首を考えて隣人や妹の夫に相談しようとした形跡もあるので、被告人が本件各犯行後平然としていたと決めつけるのは被告人に対し酷に失すると考えられる。当公判廷における被告人の挙措、態度や弁護人宛の書簡によっても改悛の情は認められる。

三、以上の諸事情を総合判断すると、被告人に対しては、いまだその罪を償うに生命をもってさせるのは相当でなく、死一等を減じて無期懲役刑に処し、長く被害者の冥福を祈らせ、改過遷善の暁には社会に復帰できる余地を残しておくことが、刑政上妥当の措置であると思料する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中谷直久 裁判官 浦野信一郎 栗田健一)

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